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僕の人生①

1982年1月30日に産声を上げた僕。
父方の御祖父はアメリカ人、母方の曾曾御祖父さんは新選組の土方歳三さん。
そんな異色の血を受け継ぎ、番場家の長男としてこの世に誕生しました。

家は根っからのモータースポーツ一家!!
では全くなく。番場家は音楽一家。

父は弦楽器の制作者。
母は演奏者という両親でした。

僕も物心付いた時にはヴァイオリンを手にしていて、練習の毎日でした。母はお茶の水大学を首席卒業という才女。僕をお医者さんにしたいという親の願いから、僕の友達は勉強机の幼少期。小学校2年から塾通いがスタートして、気が付いたら微分積分が出来る小学校5年生でした。

塾代表で数学オリンピックとかも出たなぁ~。数字が大好きで解読することが大好きだった僕。数学だけは進んで勉強しました(笑)

そんな僕の大きな転機は、中学校1年生の冬。母が日に日に痩せていったのを今でも覚えています。
リュウマチという病気を患っていて、動くのがしんどかったので、それで痩せていっていると誰もが思い込んでいましたが、実は別の病魔に侵されていました。

「胃癌」
発見した時は、余命3ヶ月と。どれだけ苦しい日々を過ごしていたのだろうと、今考えると胸が痛いです。

そんな中でも最後の最後まで僕の勉強に付き合ってくれた母。
病気には勝てず、43歳という若さで人生に幕を下ろした母親ですが、その時の培った勉強が今の僕の仕事に大きく意味をなしています。

母が他界し、悲しみの中で下ばかり向いていた中学2年生の僕。
弟は小学校4年生でお兄ちゃんがしっかりしないと!!という意識はあったのですが、心はやはりついていかなかったです。ただ、その時に僕を外に連れ出してくれたのが、僕の人生を大きく変えた幼馴染のお兄ちゃん。
彼の家族は、毎日僕ら兄弟を家に招いてくれて、ご飯を食べさせてくれました。
父は仕事で帰宅が遅くなるので、家族と思っていつでもおいでと。

そんなお兄ちゃんが一番はまっていたのが「DAYTONA USA」というゲームセンターにあるレースゲーム。メチャクチャ上手くて、いつも真似して練習していた。

そんなお兄ちゃんがついにゲームからリアルの世界に。僕が中二の秋の話でした。落ち込んでいる僕を、前を向いている姿で励ましてくれたプロレーサーを目指しているお兄ちゃん。リアルのレースデビューは、レーシングカートでした。
レーサーを目指す者にとって、その時代は必ず通る一番底辺のカテゴリー。

勉強とゲームセンター以外したことがなかった僕には未知の領域。兎に角速いんだよねぇ~。タイムトライアルはトップだったし。予選レースもぶっちぎって。

でも、最後の方でスピンしちゃって最後尾まで落ちちゃった。でも前を向いていたお兄ちゃん。

速さでは他を圧倒していたから、決勝はマジで勝つよ~~!!と。
決勝もスタート直後からどんどん抜いていき。後1台でトップ。

で、スピン・・・。
最後尾に。

最後は押し掛けでエンジンをかけられず、リタイヤに。
帰ってきたお兄ちゃんは、人目を憚らず大号泣。こんなお兄ちゃん見たことなかった。かっこよくて、いつも速くて、笑顔ばかりだったのに。
今まで母の死以外で、感情なんて出したことなかった僕には、レースよりもそっちのほうが印象に残ったのを今でも鮮明に覚えています。
あのお兄ちゃんをここまでさせるレースって、いったいどんなんだろう。

あんな小さいマシンが、とんでもない速さと音で走っていて、乗ったらどんな感覚なんだろう。そもそも、誰にも負けないお兄ちゃんがビリって。どんな世界なんだろう。

この一件から僕の人生が変わりだします。

続く。

この記事を書いたヒト

番場琢

プロレーサー 番場琢
レースは、2010年韓国No.1。2011年に日本No.1。 レース界に長年いる中で、たくさんの人に教えたり、イベントを開催してきました。 そんな中、人の行動の裏側にある心理を読み取れるようになり、人の心に合わせたアドバイスをメインに講師業にも力を入れています!!

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